集団感染とは
やっぱりね。危惧してたけれど、すぐ近くの病院でクラスター発生。1983年、この病院で寺山修司氏は亡くなった。人々は「シニキタ」病院と呼び、救急車のお世話になった時ここだけはやめてくれと懇願する。数年前、肝臓の数値が著しく悪く強制的にここへ移された折に、恐ろしく威圧的な婆さん医師に壺を渡され一週間分の尿を溜めて提出せよと命じられ、余りの屈辱に耐えきれず次の日に受付で急遽田舎に帰らなくてはならなくなったと嘘をつき、二度とここには来ないと誓った。ニュースを知り、すぐにコロナ患者受け入れを断る手段だと推察。街では「不要不急の外出を控えなさい」とミニパトカーが巡回しているが、行列を作る若者は絶えない。