漢詩とは

今更ながら敬服させられる。夜中に鷗外晩年の短編を紐解く。昨日(昼)を(午)と書いたのは鷗外の真似。「二人の友」「魚玄機」「最後の一句」などを読んで、ふとアゴタ・クリストフ「悪童日記」を思い出す。感情を一切排除し、目に映る事実だけを書き記す(ぼくら)の日記が何故か鷗外の文語体と重なった。鷗外選集第5巻16の短編をようやっと読み終えて、幾許かのさみしさと共に何年ぶりかの達成感に浸る。文語体、漢詩そして独逸語までが混在する難解な文章に目が慣れてしまうと、現代作家の小説なんぞ物足りなくなってしまうのではないか。漢和辞典と日本史小典を傍に慶長とか寛永などの年号を調べながらの作業がひどく愉しかった。

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