母の記憶とは
何歳の時の記憶だろう。まだ物心つくかつかない頃じゃないか。朝、いつもより早くトイレに起きたわたしが階段を降りると、玄関に座り新聞を広げている母の背中があった。朝陽を浴びて金色に輝く後ろ姿はどこか哀しくて、見てはいけない彼女の孤独に触れてしまったような気がした。その柔らかな曲線と湧き上がる血液の匂いが母という存在の証しであると確信した。小学生になったある夜、寝床を出た途端に思い切り吐いた。叱られるのを覚悟して母に告げると、怒りもせずきれいにしてくれた。拍子抜けしたがうれしかった。それからよく道路で轢かれてぺしゃんこになった猫を拾って、二人で河原に埋めた。とても変わっているけど偉い人だと思った。