女という存在(1)
わたしが基本的に女性好きなのは、圧倒的に多くの素敵な女性に出逢ってきたからだ。
4歳、バレエの秋山先生はまさに火のような女性。
5歳、幼稚園の原先生、お山の大将のわたしを厳しく叱る。
7歳、伊豆川先生、わんぱくなわたしを唯一好いてくれる。
9歳、禅寺のおばさん、この世に幽霊がいないこと、医者の薬を信用しないこと、無欲のうつくしさを教えてもらう。
この後、残念ながら中学、高校では素晴らしい女性には出逢っていない。
その時代、わたしは女の先生に悉く反抗した。そして悟る。彼女たちはフエミニズムという言葉を勘違いしていた。女性であることを誇りに思うあまり、その訳の分からん権力を行使した。男まさりの言葉を話しながらも、教育方針を否定されるとすぐに泣いた。論争などできるはずもなかった。今の時代ならナイフで刺されても仕様のないほど執拗な苛めは「無視」だ。大人になるまで、わたしは女の先生を無視し続けた。気の毒なことをした、と思う。勘のいい人にはすぐさま見破られるだろうが、こう書いてるわたしが最もいやらしい「おんな」だった。子どものふりをしているから尚更きたならしい。
18歳で家を出てからのわたしは当然「蛮カラ」を気取る。だが、アタマでしか理解していなかったその生き方を模倣することは並々ならぬ危険と苦労が伴った。毎日150円の梅割り焼酎を3杯飲んでは吐き、続いてジンロックを飲んだ。何度死にそうになったか、死ぬならまだましなほど羞ずかしい醜態を幾度晒したことか‥自慢するのも気が引ける。こんな時、菩薩のような女の人に出逢った。
彼女は鍛え上げられた飲ん兵衛だった。酔っぱらって彼女のアパートに転がり込んだ次の日の朝、荒々しく握られたおむすびを食べた。その瞬間、不覚にも涙がこぼれそうになる。たった二つしか歳が違わないのに、彼女は地に足がついた生活をしていた。それに引き換え、わたしは無頼を気取った青二才だった。敵うはずがない。それからわたしは荒れまくる。鍋も炊飯器もやかんもすべて捨て、冷蔵庫にはコップとジンとクラッカーしか入っていなかった。ただ、演劇の基礎訓練だけは続けた。
森の中で発声練習をし、エビになり、ゴキブリになった。ただ口惜しかった。中古で一万円の白黒テレビを買い、毎日深夜のフランス映画を観て、女性の仕草と口真似をした。大学ノートに退廃的な詩を書き綴り、皮肉な評論を書き加えた。いつも死と隣り合わせのつもりでいた。実際、友人の急死に直面し、更に荒んでいく。この最果ての地に暮らした悪夢のような2年間を忘れないために、次回は只でも死なずに更生する様をご覧に入れたい。
いつになったら汚名返上できるのか。ちょっとした不安もまた愉し。