津軽・其の一


先日、五つ離れた兄貴からメールが届いた。

「“伝説の少女”はいただけないな。もう少女じゃないだろ!」

うーむ、いつまでもお嬢さん気分で困ったものだ。
他人から見れば、すっかりオバサンなんだから・・。
家族とはありがたいものである。

苦肉の策として、カロウジテ少女と呼ばれていた頃の秘め事をお話しよう。

高校一年生の春休みだったか‥。津軽を一周しようと思い立った。およそ1週間の貧乏旅行であったが、唯一の贅沢は太宰治の生家「斜陽館」に宿泊する事だった。約七千円の周遊券を手に、上野から夜行の急行列車で13時間、早朝青森駅に着いた。市場のお婆さんから林檎を一つ売ってもらった。みぞれが舞っていた。とにかく寒い。これからの予定を思い返した。今夜は斜陽館を予約してある。まず弘前城辺りを歩いてみよう。それから先はそれからさ。それから、歩くこと歩くこと、一生のうちでこれほど歩くことはもう二度とないだろう。この日はあまりの寒さと風のために多少気弱になってしまったが、7時間ほどで金木町の斜陽館に着いた。

現在はここは閉館となってしまったが、太宰ファンなら泣いて喜ぶところだ。早々に客間に通されると、そこは幼少時代に太宰が使っていた部屋だという。まいったなあ・・。成程、田舎の名士の家だ。堅苦しいことこの上ない。贅の限りを尽くしている。こんなもんか。そうはいっても、胸の動悸は治まらない。そして、いよいよ夕飯である。50畳?いや、もっとあるか?だだっぴろい大広間にお膳が二つ、ぽつんと置かれていた。‥えっ?今日の泊まり客は二人?そう思った瞬間、浴衣姿の色白ですらっとした青年が少し離れたお膳の前に座った。

あれれ?それから先、何を食べたのか、さっぱり憶えていない。

若い二人が仲よくなるのに時間はかからなかった。私の部屋を訊ねてきた男の子は自転車で北海道から来た高二で、キリッとした甘いマスクをしていた。大きな眼鏡をかけた田舎娘とは大違いだ。それでもめげずに太宰のことから互いの主義主張まで、私たちは夜通し話し合った。悲しいかなナニゴトも起こらなかったが‥‥。それで充分だった。

次の日、私は小泊へ、青年は青森へ、反対の方向に別れた。

一年後、もう一度竜飛で再会しようと約束だけを交わして。

‥‥この約束は果たされることはなかった。つづく。